仕事前に街を歩いていたら、街頭で
「裁判員制度は人権侵害だ」
なんてやっていたんですよね。
実際のところ、参加したくないと言う人が多いと思うのだけど、罪には罰が必要なのは誰もが分かっていることだと思う。
今まで、罰を決めて来たのは裁判官という1人の仕事だった訳だけども、世論はこれに対してもっと厳しい罰を与えたがったり、情状酌量を要求する。
この行為がみんなの大嫌いな押し付けだと分かっていないのだ。
裁判官とて人間なのだから、判断にミスがあったり、時に個人の感情を出す時だってある。
そもそも、罰と言うけども私はこれが形骸化してしまっていることこそ問題だと思うのだ。
罪を犯せば、刑務所で服役しなければならない。
それこそが全員の頭の中にあるけれども、果たしてなぜそうしなければいけないのかと考えた事があるだろうか?
裁判員制度と同じくして持ち上がるのが、死刑制度だ。
死刑と聞くと誰もが重い罪を連想する。
営利誘拐殺人、強盗殺人、大量殺人など死刑となるものと言えばこれらが連想される。
違うんだよ?
そもそもの死刑制度と言うのは、犯罪以外に為す事が出来ず更生の余地がない場合に求刑されるものなのだ。
日本の刑罰は犯罪者に甘い。
更生こそが懲役や禁錮という罰の目的で、更生したから社会復帰を円滑にしましょうねと言うあり方なのだ。
社会的制裁やそれ以上を求めるのであれば、犯罪者は即死刑とするしかないのだよ。
極論だけどもね。
裁判員制度の話に戻るが、司法に対して我々の理解度というのはまったく知らないと言っていい。
分からないから分かる人にやってもらおう。
文句があれば決めた奴が悪いんだ。
これって言われたらそれは違うでしょって言えるだろうけど、みんなそれをやってるのが現実なんだよ。
一人はみんなのために
みんなは一人のために
みんな大好きなこの言葉を言葉だけでかたずけてる。
一人の罪を、冷静にそれぞれの感性でもって判断するのが裁判員制度でしょ。
それを関わりたくないとか面倒だって、そもそもが間違ってるんだよね。
誰もがもっている自分は大丈夫。
テレビの中の出来事。
そうなんだ大変だねって言うくらいの出来事をみんなで考えましょうって言う取り組みなんじゃないのかな。
相手のために考えてあげる
それすら出来ない日本の民意ってどうなのよ?
コメント