朝日新聞の「女性自ら性別に縛られ過ぎでは 春香クリスティーンさん」という記事に
私は一瞬でビビットを感じてしまった。
こういう性別問題は、私にとって取り扱っていきたいものの一つであるからだ。
記事の内容は、「女性自身が、女性という性別に対して重みを起き過ぎでなのでは」ないかと言うもので
最近で言うところの女性らしさをアピールするポイントについても疑問を投げかけている。
仕事などについても、性別問題を上げており
そういった性別の前にしっかりと仕事をこなしてくれるのかというのを一番だと上げている。
まったくもってその通りだ。
以下は記事の内容を踏まえた上での私の意見だ。
女性らしさとは何か?
飲み会などで、皿に料理を取り分けたり
バレンタインデーに手作りのお菓子を上げたり
これらは実に女性らしいと言えば女性らしい。
が、その女性らしさは誰が定義付けたものなのかと言うのは疑問を挟む余地がある。
男子としては、その行為は非常に嬉しい行為ではあるが
男子が嬉しい行動=女性らしいとするのは、どうなのであろうか?
少し視点を変えて考えてみたい。
飲み会の場で、男子が皿に料理を取り分けることは、別段おかしいことでもないだろう。
やってもらえるのであれば、ありがとうと言って然るべき事柄だ。
お菓子を手作りで男子が配るというのは、どうだろうか?
多くの人は「お前が作ったのか?女みたいなことするな」と思ってしまうのではないだろうか。
料理に関して言えば、最近では男性シェフや男性パティシエが増えてきているのにも関わらず
この扱いになってしまっているのではないだろうか?
料理というか、厨房という場所は昔からその傾向があったようにも思われる。
「男子厨房に入らず」という言葉があるくらいに、厨房やキッチンは女性にとっての城だった。
ただ、この解釈は間違っている。
三波春夫のお客様は神様という言葉でも同様の間違いが起こっているが、日本人は言葉を鵜呑みにしすぎる。
男子厨房に入らずとは、元々孟子が言った「君子遠庖厨」という言葉が元になっていて
この君子というのは主人ではなく仁徳の高い人を示し、仁徳の高い人が殺生を見ることで
ご飯が食べれなくなることを防ぐための注意の言葉であるのだ。
(※参考 ヤフー知恵袋「男子厨房に入らず、とは誰が言い出した言葉ですか。」)
つまるところ、料理に関しての女性らしさとは、勘違いから生まれたことになるだろう。
仕事に関しての性別差別
女性らしい仕事と言われれば、何が思い浮かぶだろうか?
「保育士」「看護師」「助産師」「ネイリスト」「調香師」「マッサージ師」「アナウンサー」「アパレル販売員」
パッと思いつくだけでも、これだけの職業があるわけだが、これらは女性だけの仕事ではない。
勿論のことだが、これを生業としている男性だったいるわけだ。
逆に男性らしい職業として上がるのは「政治家」「弁護士」「医師」「警察」など
それなりに地位と権力を持っている職業が上げられがちだ。
勿論、女性もこの仕事についている。
こうした考えは、男女参画社会が持ち出されてから度々あげられることだが
職業について男性だからや女性だからと言った違いは殆どないと言ってもいいだろう。
私の父親は看護師をやっている。
その仕事に誇りを持っているし、技術としても口をはさむ余地はない。
(むしろ挟むとすれば、恥ずかしいから私の治療には携わらないでくれと言った個人的感想だ)
今でこそ、男性看護師(看護師という言い方に変わったのもここ10年である)が一般化してきたが
それまでは看護婦という言い方が一般的であって、バカにされたり珍しがられたりしたものだ。
これは戦中期に、男性が戦場へと駆り出され、
女性しか働き手が居なかったことに由来しているのではと考える。
次に、保育士の問題にも目を向けたい。
朝日新聞の記事にもあったように、男性保育士が女児の着替えを手伝うことが問題視された事がある。
記事中でも言っていたが、それでは女性保育士が男児の着替えを手伝うことに問題はないのだろうか?
お父さんが、娘の着替えを手伝うことに疑問を挟むようなものではないかと私は考える。
(もちろん、家族であるという前提はあるものの、信頼感で言えば同等と見れなくない)
日本だからこそ、女性に対する犯罪は男性が起こしがちだと思っているだろうが
海外では、女性から男性に対する性犯罪は珍しいことではない。
保育という性質上、男性よりも女性が中心になっていた事は認められるが
最近では、その考え方自体を塗り替えていこうと、男性の保育を推進する社会情勢もある。
そもそも育児に関して、夫が妻がという考え方をしている家庭は崩壊しやすい。
私の知っている旦那さんは、妻のことを一緒に戦う戦友のような感じだと言っていた。
どちらかが子育てをすることに、らしさは関係ないと私は思うのだ。
○○女子をいつまで続けるのか?
○○女子というのが、どこへ行っても耳にする言葉だが
この風潮は一体いつまで続いていくのだろうか?
対抗策として、男子も○○系男子をうたっているが、正直なところ個人は個人なのだから
○○系とわざわざ括りにしなくても良いのではないだろうかと思うのだ。
日本人は特に集団心理に弱く、群れたがる性質が強い。
逆に言ってしまえば、集団で居なければ不安でしょうがないのだ。
そこで、○○系と括りを作ってしまって、同じような人々がいることに安心感を抱いているのではないだろうか。
Twitterが流行りだしてからの流行であることを考えてみると
この流れはそろそろ止まるのではないかと思われる。
刑法でも、男女差別がある
「らしさ」の話からはハズレてしまうのだが
日本において、性別が大きな力を持つのは昔からの風潮である。
刑法というのは、新しいものはドンドンと打ち出してくるわけだが
過去の刑法を改革しようという動きはすくない。
その中でも、一度も触れられていないのが「強姦罪」というものだ。
概要は省かせていただくが、強姦罪の成立には男性の陰茎が女性の陰部に入ることが条件になり
実は、男性にしか適用されない法律であるのだ。
女性がこの罪で裁かれることはないし、そもそもGHQ時代の価値観が
女性は守られるべきだという考え方からの条文だと見受けられる。
しかしこの法律には穴があって、女性が男性を強姦した場合に逆に強姦罪の冤罪を掛けられたり
強姦罪を成立させないために肛門への挿入をしたり、男性器以外のものを使用したりなど
強姦罪に親しい行為であっても、強姦罪として裁けないこともある。
まとめ
女性らしさや男性らしさと言ったものは、
明治から昭和にかけて定着したものが大半であって、誰かがその考えに迎合する人が多かっただけである。
そのことから考えるに、古い習慣や思い込みによって
我々はこうあらなければならないや、こうしなければならないと言ったことをしがちではないだろうか。
朝日新聞の記事は、外国から見た日本のおかしな習慣を指摘してくれているし
我々日本人もそのおかしな点について疑問を持ってしかるべきだ。
それを踏まえた上で、このおかしな状況を変えて行けるのは私達日本人なのだ。
おかしいことには、おかしいと声を上げること。
それこそ、私があげた集団でやっていかねばならないことであり
性別格差によっては、誰も特をすることがないことを日本人自体が把握しなければならないのだ。
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