もしもオウム真理教の麻原彰晃が逮捕処刑されていなかったら

ニュース
この記事は約5分で読めます。

2018年7月6日にようやく区切りのついたオウム真理教事件。

死刑に対して様々な意見が上がっているけれども、私は麻原彰晃が処刑されて良かったと思っている。

もしもあの時麻原が逮捕されていなかったらと思うとゾッとする。

 

 

スポンサーリンク

もしも麻原彰晃が逮捕されて居なかったら

もし、地下鉄サリン事件の時、麻原彰晃が逮捕されて居なければ、日本はさらに悲惨な国になって居ただろう。

それこそ、今以上にテロという言葉に対して恐怖心を抱いていただろうし、いつ自分が殺されるかも分からない恐怖が常につきまとっただろう。

地下鉄サリン事件は東京都で起こったけれども、オウムの支部は国内はもちろん海外にもある。

ロシアとの関係ももっと悪化してたに違いない。

 

スポンサーリンク

オウム真理教が作って居たのはサリンだけではない

オウム真理教と聞けば、サリンが頭にくる程地下鉄サリン事件の印象が強いが、彼らが作って居たのはサリンだではない。

記憶に新しい金正男暗殺事件の際に使用されたVXガスも作っていたし、ロシアから密輸した重火器を組み上げたりして居た。

もしも一斉検挙が遅れ、教団が蜂起していたら、地下鉄サリン事件よりも凄惨な事態になる事は容易に想像できる。

オウム真理教は国際的にも非常に危険なテロ集団だったのだ。

 

 

スポンサーリンク

恐ろしいのは麻原彰晃のカリスマ

麻原彰晃の何が一番恐ろしいかといえば、そのカリスマ性だ。

もともとはヨガサークルの主催が十数年で一国を脅かす存在へと変貌した。

その際たるものがオウム真理教と言う集団であり、地下鉄サリン事件と言う黒歴史だ。

 

麻原彰晃は人の心に入りこむのがとても上手い。

教団の幹部層はいわゆるインテリ集団であり、誰もが社会に出て貢献していればそれなりの地位を獲得できた人物たちだった。

会社の役員にまでなったものもいた。

そんな人間が、麻原彰晃と言う犯罪者の元へ自ら馳せ参じ、その頭脳を持って日本を陥れようとしたのだから、その人身掌握術は狂気としか言いようがない。

 

オウム真理教の話をすると、よくマインドコントロールの事が上がるが、ストックホルム的な環境下での洗脳は下位のものにしかされていなかったと思う。

言うなれば麻原彰晃にとっては下策。

だからこそ、今でも麻原彰晃を神格化しようとする動きがあるわけで、麻原彰晃には何かしらの魅力があったのは認めざるを得ないだろう。

 

そして、それらを組織化した手腕は見事と言うほかない。

一言「ポアしなさい」と言うだけで、何千何万と言う人間が喜んで犯罪に手を染めるのだ。

「尊師の言葉は絶対」と言う組織の頂点に在り続けることは、並大抵の事ではない。

無論、信者が盲目的だったと言う事も念頭に置いておかなければならない。

 

 

スポンサーリンク

麻原彰晃が衆議院議員になっていたら

地下鉄サリン事件の影響ですっかり忘れがちになるが、麻原彰晃の国家転覆の手段は強硬策ばかりではない。

1990年にはオウム政党を名乗り衆議院選に立候補した。

これは当然の如く落選したわけだが、もしも衆議院選挙に勝って国会議員になっていたら、日本はオウム国家になって居ただろう。

待ち受けるのは地下鉄サリン事件よりも恐ろしいクーデターだったはずだ。

麻原独裁政権の擁立は、麻原彰晃のカリスマと教団の武力があれば訳もなかっただろう。

待ち受けるのは今よりも暗く、夜も安心して眠れない未来だ。

 

 

スポンサーリンク

もしも麻原彰晃が処刑されて居なかったら

やっと処刑された。それが私たちの共通認識だ。

麻原彰晃は日本国民の血税で生かすに値しない。死刑は遅いくらいだと私は思う。

しかしながら、もし麻原彰晃が処刑されなかったとしたら、我々は区切りもつけられず、世界的にも稀な犯罪者を血税で生かし続けることになる。

被害者や遺族からしてみれば、ずっと区切りがつけられず、ただただ怒りを押さえつける毎日になっだろう。

それでも20年余り、被害者はそういった気持ちを押さえつけてきたわけだが…。

 

更に懸念しなければならないのは、麻原彰晃に懐柔された人間たちがいつ麻原を檻から解き放つかだった。

日本の刑務官を信用しないわけではないが、絶対ではないし、弁護士や面会を通じて麻原の意志が世間へ出回らないとも限らない。

今でも麻原彰晃に対して信仰心を抱いている人たちは、もしかしたら麻原彰晃が生きているうちにそういった働きを受けたのかもしれない。

相手は数万人の信者を抱えるまでに成長した宗教のトップだったのだ。与える影響力を考えるに生かしておいては百害あって一利なしだ。

油断は出来ない。

 

スポンサーリンク

死後神格化される問題はどうなのか

麻原彰晃の処刑は、麻原彰晃の神格化の懸念があると言われているが、逮捕からの20年余り、すでに神格化されて居たと見る方が適切だろう。

東京拘置所の周りを信者が巡礼することはいくらか報道されていたし、会えないからこそ、神格化に拍車がかかったはずだ。

 

逆に言えば、神格化しているのは末端の信者であって、麻原彰晃に近しい人間からしてみれば些末な事だ。

既に会えない人間に、会える会えないは関係なく、どうやって末端を動かすかと言うのが一番に考えている事だろう。

麻原彰晃が死に、夢で麻原彰晃のお告げを聞いたくらいの人は出てくるかもしれないが、拘置所にいた時から魂だけ抜け出して云々言えば、盲目的な信者はその言葉に従っただろう。

 

だから麻原の神格化に関していえば、今更どうと言う事はない。

問題なのは、未だに麻原彰晃の影を追う人間たちの一切蜂起くらいなものだ。

 

 

スポンサーリンク

まとめ

もし麻原彰晃が逮捕されて居なかったら、議員になっていたら、そんな事を考えるのは無駄なのかもしれないけれど、ただ闇雲に死刑が正しかったのかどうかを議論するよりは、可能性を提示してそれがいい事なのか悪い事なのかを判断材料にするのも一つの手段だと思う。

もちろん麻原彰晃が処刑された事で、闇に消えてしまった事件もある。

警視総監狙撃事件も、確実にオウムの仕業であるとは言いがたいし、麻原彰晃亡き今確認する手立てはない。

ただ、麻原彰晃は喋らなかっただろうと思う。

あれだけ自尊心の強い人間が、心身虚弱を使ってまで裁判から逃げたのだ。

だからこそ、これ以上の進展がないとしての死刑だったのだろうと思う。

平成に起こった大事件を、平成の最後に幕引きできた事はいいことだと私は思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました