私は両親のことが嫌いではない。むしろとても好きだ。
私をここまで育ててくれたことはもちろんだし、今でも身体の不調になったときの相談はまずは親にしている。
病院に行くか行かないかの判断も親の声色を聞いて、あぁ、すごい心配されている感じだなぁと思ったら行くようにしている。
ただ、子供の頃は親と対立することも少なかったし、母親とは月1くらいで喧嘩していた。
喧嘩の原因は、自分の進路のことだったり弟のことだったり、本当にいろいろなことだったと思う。
でも、別段毒親でもないかなとは思うのだけど、親の仕事だけは毒だと今でも思っている。
これを書こうと思った原因
これを書こうと思ったのは、私が偶に見ているブログで紹介されていた「ど根性ガエルの娘」と言う漫画を読んだからだ。
作者はど根性ガエルの本当の娘さんで、父親がど根性ガエルの連載の後に落ちていく姿を漫画にしている。
1巻はまだまだ序章だけれど、2巻の内容は凄まじい。
途中からはお母さんまでもが壊れていくし、家庭崩壊って感じがする。
興味があれば、読んでみてもいいと思うけれど、結構凄まじい内容だし、色々考えちゃうこともあると思うからすごくオススメって言うわけじゃない。
親の仕事が嫌いな理由
うちの両親は医療系で、夜も遅いし休みなんて全然なかった。
一家団欒で食事をするなんて言うのは週に1度くらい。父親が怪我したり仕事をしていなかった時はそりゃ団欒で食べたけどねww
それでもそう言うのを実感できたのは、高校生とか専門学生の時だったなぁ。
小学生3年生くらいの頃までは、両親とも夜勤をしてて、深夜託児の出来る施設にいたり祖父母の家に預けられたりしてた。
いつだったか忘れたんだけど、その日も祖父母の家に預けられてたんだけど、深夜0時位だったかな。父親が迎えに来たんだよね。
父親はじいちゃんに平謝りしててさ、帰りの車の時とかも全然覚えてないんだけど、私がグズってるのを見てじいちゃんが父親に連絡して迎えにこさせたらしい。
その時父がどんな気持ちだったのかなんて分からないし、今聞いても多分覚えてないとか言うんだろうけど、きっと色々考えてたんだと思う。
当時だと32とかだからバリバリの働き盛りの頃だったし当時の父も今の父も私の中では大きな背中をしていた。
今でこそ、仕事の邪魔をしてしまったなとか思うところはあるけれど、当時としては迎えに来てくれたことが凄く嬉しかった。
それから母は夜勤を入れる数を凄く少なくして、私が祖父と喧嘩したこともあって祖父母の家に預けられることはなくなったんだけど、それが最大限の譲歩だったって気づくのに何年かかってんだろうね(笑)
それでも、私は看護師という職業を好きにはなれそうにない。
立派だとは思うけれども、仕方のないことだと割り切ってしまうには当時の私はとても幼かった。
今でも、その思いは当然としてある。誰かがやらなきゃいけない仕事。でもそれはうちの親がやらなきゃいけない仕事なのかってね。
当時の親が毒親だったなと思うところ
最初に毒親じゃないと思うと言ったけれど、これはっていうところはあった。
うちの弟は不登校だった。
小学3年生から中学3年生まで不登校で、親の関心は私よりも弟に当てられていた。
エピソードはいくつもあるのだけど、今回はそのうちの1つ。
ムチャクチャ些細な理由で、小学生の私と母親は喧嘩した。
一番下の弟が、風邪を引いて休む。母親は関係各所に連絡したり、自分の出勤の事もあって忙しくしていた。
当然、私も早々に着替えさせられて、もうそろそろ家を出なければならなかったのだが、小学生の私は弟ばかり休むのはズルいと考えて熱を測ってみた。
37度0分〜2分の何処かだったと思うのだけれど、母親に「自分も熱があるから休んでいいでしょ」みたいなことを言った。
まぁ、母親は怒ったよね。それで休みたかったら休めばいいみたいな事を言って出勤してしまって、私は凄く寂しい気持ちだったり申し訳ない気持ちだったりしながら休んだことを覚えている。
私としては、親に甘えたかっただけなんだけど、朝の忙しい時とただでさえ手のかかる弟の世話とで、母親も一杯一杯だったんだろうな。
父親は、家にいるときが少なかったというのもあるけれど、私と母親が喧嘩しててもあんまり介入してくることはなかった。
弟にばかり構う母親と、何も言ってこない父親。
そう言う部分は、毒親の部分なんじゃないかなと私は思ったりする。
もちろん理解がないわけじゃないし、親としてはお兄ちゃんだからっていうこちらに甘える気持ちもあったんだろうなぁ。
それもやっぱり両親とも命の現場って言う職業を選んでるから、休むに休めないっていうのもあったんだろうね。やっぱり医療従事者は好きになれないな。
まとめ
今だから毒親っていう言い方もできるし、仕方ないよねっていい方も出来るけれど、当時にしてみれば毒親だったのは言うまでもないと思う。
言っても過去のことだから仕方ないし、私も親が苦労しているのは知っているし、気持ちを考えれば色々と思ってくれているところはあったんだろうなって。
まぁ、何が言いたいかって言うと、ど根性ガエルの娘みたいに凄く分かりやすい毒親ではないんだけれど、毒の部分もあったななんて思い出したら吐き出したくなったんだよね。
うちの親は本当に尊敬されるべき仕事をしていると思う。
けど、私はそれを賞賛することは出来ないというのが本音だし、オススメしたり、褒め称えることも出来ない。
生活のため、育てるため、理由はたくさんあるけれど、やっぱり子供時代に親と過ごした記憶っていうのは少ない。
正直に言うと、父親とクリスマスをやった記憶なんて、殆ど無いw
いつも仕事でいなかったし、クリスマスを過ごしたのは中学3年生くらいのときじゃないかな。
親も試行錯誤して、24日にパーティをやるんじゃなくて23日だったり、26日だったりなるべく家族が団欒できる時を見つけてって感じだった。
まぁ、本当に他の人から見ればどうでもいいこととか、同情してくれる人とか、私のほうがもっとひどい思いをしたって人も居るだろうけど、ど根性ガエルの娘を読んで思い出したことを今回は書いてみたって感じかな。
コメント