AERAbotに掲載されていた大竹哲也さんの記事「「働き方改革」で管理職が悲鳴 広がる部下との労働時間格差」を拝見したのだが、根本的に時間の使い方というか理解度が間違っているのではないかと思えた。
記事の内容は、部下が残業出来なくなり管理職の休日出勤などの時間が増えたと言う内容だった。
私が間違っているんじゃないかと感じたのは、残業に対しての会社の理解度が極端なものになっているのではないかというところだ。
残業が習慣となってしまった訳
働き方改革が叫ばれる中、取りざたされるのは長時間労働についての問題だ。
取分け残業について取り上げられることが多く、日本企業の残業はあって当たり前と言う認識がここに来て崩れてきはじめたわけだ。
そもそも、日本企業において残業と言う概念自体が乏しいものであったのではなかろうか。
日本人の生真面目さは、他国から病的と言われるほどであり、海外では専門職に使われるワーカーホリックやワーキングデッドなどが一般職や事務職の人間 にも使われることがある。
このように言われる狂気的な責任感が、日本人の強みといえば強みだが、責任感と義務感が一緒くたになってしまった結果が長時間労働へと結びついている。
「自分がやります」から「やらなければならない」にいつのまにかすり替わっている。
そして、一度引き受けた仕事はその日の内に終わらせてしまわなければならないと言う狂気的な責任感が生まれている。
自分が、いつまでに終わらせなければならないと言う強迫観念のクールタイムが極端に短く、また締め切りについても短く設定されている。
つまり何かを終わらせることに対して、時間というものを自分でコントロールするのが下手だと言ってもいいだろう。
その積み重ねが、残業を習慣化させて行ったのだ。
日本人は時間にルーズ
よく日本人は時間に厳しいと言うが、それは大きな誤りである。
日本人ほど時間にルーズな人種はいない。
日本人が厳しいのは始まりの時間であったり、区切りの時間だけで、終わりの時間に対しては特に考えてすらいない。
タイムテーブルを組んだとして、17時以降の予定を考えていなければ、それ以前の時間のままの状態でいる。
一時期ツイッターで話題に上がった会議時間のように、始まりの時間は決まっていても終わりの時間は何度も同じ意見を繰り返して無為に過ごしていると言う事だ。
さらに時間に対して決めつけすぎて逆にルーズになっていると言っても過言ではない。
例えば出勤時間の前の時間で色々と出来ることはあるのに、ただ電車に乗っているだけとか、出勤時間に間に合えばいいと寝てしまったりする。
もちろんそれが有効的な時間であるならば問題はないが、通勤時間でニュースを読んだり本を読んだりゲームをする時間を稼ぐことは難しい事ではないし、少し早めに出て会社の近くで朝食を取っていれば万が一の事態にも対応できる。
隙間時間をどう過ごすかを考えてない人は多いし、余分な幅を持って業務に取り組む事自体がタブー視される傾向にある。
残業をさせてはいけないわけではない
働き方改革の法整備が進み、残業についてはたしかに取り締まりが厳しくなった。
企業としてはリスク回避の為に残業自体をさせないようにしようと言う試みは分からないでもないのだが、結局のところそれだけでは仕事量が増えるだけで、改革とは程遠い。
つまるところ、残業はしてもいいけど無理のない範囲でねと言う事を多くの人が理解していない。
多くの人が仕事に対してネガティブなイメージを持っていて、やらされていると言う感覚から抜け出せていない。
長時間労働は確かに問題なのだが、やらされている感はもっと大きな問題であると言っていいだろう。
やらされている感が少なければ、少々の残業自体はそれ程問題ではない。
やらされている感を感じる要因
やらされている感を増長させているのは、パワハラやモラハラだ。
どれだけ仕事をしても褒められるどころか怒られたり、サービス残業などで正当な対価が支払われなかったりと、人間性を攻撃する事がやりたくないと言う環境を作り出している。
日本企業は厳しくする事が業務の効率化に繋がると考えている。
これは高度経済成長期に団塊の世代が作り出した悪習だ。
余裕がない状態でがむしゃらにやれば成功したという体験が、この様な悪習を生み出した要因なのだが、実際に経済史を学んでみればただ「頑張ったから」成功した訳ではない。
日本がバブルだった頃にあったのは、新しい発想と不動産による外資の力が大きい。
しかしながら、現在の日本では不動産は低迷していて新しい発想は少ない。
この様な状態の時に視野を狭める「ただ頑張る」と言う行為は衰退しか生み出さないのだ。
それを理解せずに昭和的考えのままの経営戦略を是としていることが、やらされている感を強くしている。
適度な時間・適度な余裕
仕事において時間が足りなくなることは大いにある。
接客業であれば、お客さんがいれば対応しなければならないし、事務職であれば書類が期日ギリギリの事は珍しくもない。
しかしながら、余裕を作り出す事は難しいことではない。
最終入店時刻を決めたり、期日を余裕を持って設定したりすれば、日本人は早く終わらせるのが好きなのだから時間的余裕は確実に作れる。
そして余裕があれば新しい業務の勉強をしたり、新しい発想や業務改善についてのアイデアが浮かんでくる。
私がブログを書く時に決めているのは、時間を気にせずにいつ上げるかも決めていない事で、確かな自分の言葉で書き上げている。
それは誰かに強要されている訳ではなく、こうしたいと思っているからこそ内容の濃い記事を製作する事が出来る。
何をするにも余裕を持って取り組む事はとても大事で、追い詰められて生み出したものは結局はバブルの様に弾けてしまうものなのだ。
まとめ
長時間労働の問題は確かに取り組まなければならない事ではあるが、まずもって足りないのは余裕のあるなしではないだろうか。
期日を少し遅らせるだけで、緊急性は少なくなりその分効率的な方法が編み出されるかもしれないし、早く終われば早く終わったで済ませばいいだけの話である。
日本の郵便は遅くても3日以内には配送されるが、フランスなんかでは1カ月近くかかることもある。
これを日本人の多くは怠惰だと捉えるが、実際国土の広さや働き方を考えれば妥当ではないだろうか。
急いでやったことは、結果として良いものになるとは言えない。
スピード感は確かに大事だが、余裕があるからこそ完璧な仕事をこなせるのだ。
日本の仕事の仕方はプレハブ建築と言っても過言ではないだろう。
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