ルーマニアの独裁者「チャウシェスク」

人物
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BLACK LAGOONの記事でも触れたんですけども
個別にも書いておこうかなと思います。

 

独裁者として有名なのは、ヒトラーだと思うんですけど
世界各国には色々と独裁者がいるんですよね

 

 

その独裁者の一人であるチャウシェスクについて
今回は触れていこうと思います。

 

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チャウシェスクと言う男

Nicolae_Ceausescu

 

チャウシェスクはルーマニアの独裁者でした。

 

出自は農家で10人兄弟の3人目
ルーマニア共産党に入党して、
第二次世界大戦後に党内で2番目の地位にまで上り詰めます。

 

その後、地位的に1位であったゲオルゲ・デジが亡くなると
彼はとうとう1位の地位に上り詰め、大統領となったのです。

 

その後、彼はとある政策を打ち出します。

 

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離婚と堕胎の禁止

第二次世界大戦で失った労働力を取り戻すために
チャウシェスクは自国民に離婚と堕胎を禁止させました。

 

堕胎を禁止されたことで、子どもは沢山生まれたのですが
国や国民に子どもを育てるだけの余裕はありません。

 

ルーマニアでは多くの育児放棄が起き
孤児院はどこも満パンになり、子どもが死ぬと給料も引かれたために
子どもを延命させるために大人の血液を輸血しました。

 

その結果、エイズなどが蔓延し
ストリートチルドレンとなる子どもも増えてしまった。

 

人々はこの子どもたちのことを

「チャウシェスクの落とし子」

と呼び、今でもときどき問題としてあげられるのです。

 

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チャウシェスクの最後

 

1984年にルーマニアではクーデターが起こり
チャウシェスクは妻とともにトゥルゴヴィシュテに逃亡しましたが
その後、軍によって発見されました。

逃亡先のトゥルゴヴィシュテで略式法廷にかけられたチャウシェスク
裁判でも、自身は国民のために尽力したや
妻も感謝こそされこんな仕打ちをされる覚えはないと言い放ちました。

 

処刑前のチャウシェスク

 

妻のエレナは浪費家であり
国民の血税を大量に消費して、自身の欲を満たしていました。

 

結局、チャウシェスク夫妻は死刑が確定し
12月25日に銃殺刑に処されました。

 

画像は検索すれば出回っていますので
自己責任でぐぐってみてください。

 

 

コメント

  1. Smithd203 より:

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